河北の名家・史氏の当主。大元の右丞相・史天沢の父。 |
| 燕の永清出身。史成珪の長子。(1175〜?) 永清の富豪の長子に生まれる。清楽社を主催し、仕官せずにいた。 1211年にモンゴル軍の金侵略が始まり、史一族もその動向に注目していたが、 やがて投降した者は殺されないと知り、一族でモンゴルに付くことを決めた。 1213年秋、一族と里の者千人を連れ、モンゴルの重臣ムカリの軍門に降る。 自らは老母の世話をする為に軍役を辞退し、子弟を推薦し自らは後方支援の任についた。 降人の家族を管理する為、覇州に駐屯。そこでの善政が評価され人々が大勢集まった。 1214年、ムカリの北京(大寧)攻略戦に一族総出で参加。攻略後、北京行尚書六部事となる。 これから十数年北京が史氏の根拠地となった。 その地位は北京都元帥ウイェルにつぎ、内務全般を取り仕切り、軍需供給を任された。 モンゴル、金の降将などと幾重にも婚姻を結び、一族の基盤を確立させたという。 1230年、職務を辞し新根拠地となりつつあった真定へ移り去った。 以下、史秉直の子供。 史天倪。史天安。史天沢。 長女はムカリに嫁ぎ、次女は劉天錫に嫁いだ。 なお、ムカリに嫁いだというのは、人質といった感じが強いと思われる。 |
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