河北の名家、史氏の嫡流。史天倪の次子、元の右丞相・史天沢の甥。 |
字は伯衡。史天倪の次子。真定万戸。 史天倪の死亡時、幼少であった為、真定から祖父の居る北京へ移り成長する。 初陣は、叔父・史天沢に従っての南宋攻めであった。 モンケ・ハァンの伐宋戦ではフビライ率いる軍に属した。河南屯田万戸。 鄂州の役では、史天沢の副将・李伯祐などと共に参戦した、 フビライとアリクブカのハァン争いでは、フビライに与し、中統元年に 真定河間濱棣ケイミョウ衛輝等州路并木烈糺軍兼屯田州城民戸沿邊鎮守諸軍総管万戸を 授けられ、所属の千戸、万戸に号令する権力を与えられた。 アリクブカ戦には参加せず、南宋に対する防備につとめる。 至元7年、宋将・夏貴が進軍してくるとこれを破る。その後も対南宋戦で活躍した。 金虎符を賜り、河南等路宣撫使、充江漢大都督、総制軍馬、総管屯田万戸となる。 鎮国上将軍、真定等路総管兼府尹となり、それを最後に亡くなった。 |
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