真定霊寿の人。世祖・フビライの侍衛親軍として活躍。 |
初出征は粘合南合の南征。戦功をあげ、千戸となる。 モンケ・ハァン治世、史天沢に従い新軍万戸鎮撫となる。 モンケによりモンゴル名を賜る。モンケ死後はフビライ派となり、史天沢の下で働く。 中統元年、金虎符を授かり総管となった。 史天沢麾下、山東で反乱を起こした李氏を討ち、侍衛親軍総管となる。 至元6年、懐遠大将軍、右衛副都指揮使。9年、蒙古漢人高麗諸部軍万人。 12年、右衛都指揮使に進み、岳州、江州などを攻略し褒賞される。 14年、昭勇大将軍、枢密院判官。18年、輔国上将軍、江淮行省参知政事。 22年、召還され、翌年、江浙左丞となり屯田に従事する。28年、81歳で亡くなる。 以下、鄭温の子供。 鄭欽:利用監丞 。鄭ス:都運使。鄭銓:右衛親軍千戸。鄭縺F袁州路判官。 元史に伝あり、154巻列伝第41 |