西夏王家の流れをくむ嵬名氏出身。父親は西夏家臣。 |
察罕。唐兀(党項)人、烏密氏。曲也怯律の子。烏密氏は嵬名氏の異訳。 西夏王家に仕える貴族・曲也怯律の長子として生まれる。 側室の子だった為、父に子供として認められず羊飼いとして養われていた。 チンギス=ハンに見いだされ、ハンの怯薛に入った。 1211年頃から、金討伐から西域・西夏遠征で数々の戦功をあげた。 その功績によりハンのオルドを任された。御張前首千戸 チンギス=ハンの親衛千戸の第一百戸長で、実質中軍千戸を取り仕切った。 チンギス死後は監国トゥルイの支配下にいたが、太宗オゴディにより漢地へ派遣される。 クチュの指揮下で南宋と対峙し、クチュ死後は諸王コウンブカに従った。 伐宋モンゴル軍の総司令官となり、多くの州を落とし馬歩都元帥の称号を賜る。 定宗グユク時代にもスブタイと共に総司令官として活躍。 憲宗モンケ時代には多くの草地を授けられた。 1255年死去。モンケ=ハンにより河南王を追封された。 妻はコンギラト氏で、その間にムカリが生まれる。 以下、チャガンの子供。 ムカリ:蒙古万戸。 元史に伝あり、120巻列伝察罕伝 |